2012年 11月 08日

郷土の偉人。尊皇の僧「佐田介石」

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本日は朝一で仕事を終わらせ、急いで小島の正泉寺に向かい熊本県立大学名誉教授の梅林先生による「佐田介石」につひての勉強会に参加。
地元の人をはじめ、80名程の参加者が集まつてゐた。

佐田介石は幕末に熊本県八代の浄立寺の長男として生まれ、18歳で京へ上り西本願寺に学び仏教への信仰深くした。
その頃、西洋から地動説が輸入されたが、仏教の教へを覆す学説だつたため佐田は危機感を覚え、この地動説に対抗するべく仏教天文学を学び、独自の理論を確立し、地動説排撃運動を展開した。この理論に基づいて視実等象儀といふ天文儀を作るなどして、その理論の普及に努めた。

介石は僧といふ立場にとゞまらず、尊皇の士としても活躍し、桂小五郎をはじめ幕末の志士や、幕府の要人ともパイプを持ち、僧といふ立場から国内の安定を目指すなどして、外夷の圧力から日本を守るために尽力した。

介石の歌に
「国のため、法のためとて身のかぎり、尽くして果てん倒れ伏すまで」
といふのがあるが、この歌のとおり、介石は明治維新後も西洋文化を厳しく批判し、日本の伝統文化を守るために全国を遊説をして回つたが、新潟県でついに病に倒れ、64歳で永眠した。


また、介石は僧でありながら神道原理主義ともいふべき神風連の志士達とも交流があつた。
信仰は違へど、肥後もっこすといふ事に関しては非常に相通ずるものがあつたのだらう。
神風連の志士たちは、洋服や、紙幣、電線の下を通ることなどを穢らわしいとして忌み嫌つたが、介石も同じやうに西洋文化を嫌ひ、化石燃料を使わない伝統的経済論である「栽培経済論」や「ランプ亡国論」を著すなどして日本の伝統文化の大切さを訴へ続けた。
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by gendousha | 2012-11-08 21:22 | 日本主義


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