2013年 02月 27日

義烈空挺隊

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今日は、仕事の昼休みを利用して健軍駐屯地に行き、義烈空挺隊慰霊碑に参拝し、広報館にて関連資料を見せて頂きました。

「義烈空挺隊」とは昭和20年5月24日、熊本健軍飛行場(現在の日赤病院)から出撃した奥山隊長(26歳)以下、総員120名の斬り込み部隊。
この部隊は、12機の97式爆撃機に分乗し、米軍に占領されてゐた沖縄の北飛行場(読谷)、中飛行場(嘉手納)に強行着陸し、敵航空機の破壊を任務としてゐました。
敵陣の真つ只中に少数精鋭で斬り込むといふ任務の特性上、生還の見込みのない、言はば空挺特攻でした。

米軍の記録によると着陸に成功したのは1機のみとされ、 そのわずかな兵力で奮戦し、手榴弾、焼夷弾により飛行機7機破壊炎上、26機に損害を与へ、さらに7万ガロンのガソリンを炎上させ、米軍を混乱に陥れました。


この義烈空挺隊の隊員のほとんどは家庭に帰れば妻子のある父でした。
その家族にも話すことの許されない極秘の訓練を続けていた隊員達の苦悩は想像を絶するものだつたでせう。それも、戦死することが前提の任務を果たすための訓練だつたのですから…。

それでも、家族を守るため、日本を守るため、敵の飛行機を一機でも多く破壊するために艱難辛苦にうち耐へて厳しい訓練に励んだのです。

このやうに若き命を日本のために散らした方々に対して、「無駄死に」とか、「戦争の犠牲者」といふ言葉で済まそうとする人が許せません。
私は、その武勇を、その忠烈を、顕彰してゆきたいと思ひます。

戦争の善悪、是非はそれはそれで語ればいい。

私は、誰からなんと言はれようと、いつまでも英霊に感謝し、手を合はせてゆきます。



義烈空挺隊員の辞世の句

第三独立飛行隊

吾か頭 南海の島に 瞭さるも 我は微笑む 國に貢(つく)せば

— 奥山 道郎大尉


奥山に 名もなき花と 咲きたれど 散りてこの世に 香りとどめん

— 今村 美好曹長


武士の 行くべき途は ただひとつ 散って甲斐ある 命なりせば

五月雨の 落つる雫も 今日はなく 我の征途を 守るらん

— 久野 正信中尉


待つありて 眺むる月の 涼しさよ また咲きいでん 靖国のみや

— 新妻 幸雄少尉


よしや身は 千々に散るとも 来る春に また咲きいでん 靖国のみや

— 関 三郎軍曹
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by gendousha | 2013-02-27 06:35 | 自衛隊 国防


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