2013年 03月 02日

沖縄旅行三日目

b0212067_2234712.jpg

b0212067_2241878.jpg

b0212067_2244360.jpg

b0212067_2251821.jpg



昨日は沖縄の聖地である斎場御嶽や久高島、残波岬(米軍資料によると義烈空挺隊の最後の隊員が戦死した地)、義烈空挺隊玉砕の地(読谷飛行場跡)などを巡りました。



そして、今日は朝から首里城、一中健児の塔(鉄血勤皇隊)、一中学徒隊資料展示室、沖縄県護国神社、海軍司令部壕を巡りました。

温暖で、美しい自然に囲まれ、人ものんびりしたこの平和な沖縄に来て、島のすべてが戦場になつた跡を目の当たりにして、沖縄人が平和を叫ぶ理由が分かる気がしました。
しかし、だからこそ戦ひの最前線で戦ひ散つた方々を顕彰しなくてはならないと思ふのです。戦つたのは、軍人に止まらず、中学生や、ひめゆり部隊に代表される女子学徒隊などに至るまで、島民が一丸となつて戦つたのです。


よどみなく ふるいはげみし 健児らの 若き血潮ぞ 空を染めける

と、一中健児の塔に刻まれてゐました。

この沖縄県立第一中学の生徒、山内昌栄は出陣前、両親に最後の別れを告げるために一時帰宅しました。しかし、家族は米軍の攻撃を避けて疎開してをり、会ふことができませんでした。
そこで彼は、庭の桜の木に

「君が為何か惜しまん若桜散って甲斐ある命なりせば」

の辞世の句を刻んで戦場に戻りました(写真)。そして、そのまゝ家に帰ることはありませんでした。

この他にも遺書には「若桜散るべきときは今なるぞ」などの勇ましい言葉も多くある一方、「両親に会ひたい」といつたものも同じく多いさうです。

どちらも本音だと思ひます。
もしかすると、勇ましい言葉で、恐怖に怯へる自分の心を奮ひ立たせた事もあつたかも知れません。
どちらにせよ、少年達の生と死の葛藤には、現代を生きる我々には想像も出来ない苦悩があつたはずです。


鉄血勤皇隊は若い生徒は13歳から戦つてゐます。
写真を見ると、とても幼い顔をしてゐます。桜で言ふなら、まだゝゞ若桜にも早すぎる、まだ春の温かさも知らない蕾です。

そんな彼らの事を思へば思ふほど、うまく言葉になりません。
[PR]

by gendousha | 2013-03-02 22:02 | 自衛隊 国防


<< 沖縄からの帰路にて      鉄血勤皇隊 >>