もっこすのための熊本愛郷新聞

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カテゴリ:日本主義( 18 )


2015年 04月 09日

 天皇陛下、ペリリュー島へ御行幸あそばされる

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本日、
 天皇陛下はパラオペリリュー島を御行幸あそばされます。
御年81歳の 天皇陛下にとって、日本から遠く離れたペリリュー島の英霊を慰霊されることは身体的にも非常に大変な事であると拝察いたしま
す。
戦後70年経った今も、御自ら戦地にお立ちになられ、慰霊をされる大御心は国民としてただただ忝く、皇軍の英霊にとってもこの上ない幸せだと思います。

本日も、ペリリュー島守備隊長の中川州男大佐の墓前にて、ペリリュー島御行幸における道中の安全を祈願いたしました。

そして、英霊が守りたかった日本にいま生きるものとして、これからも日本を守る気持ちを忘れないよう心に誓いました。

最後に、
ペリリュー島守備隊の全滅を知らせる最後の電文は、
「サクラ、サクラ」でした。
先日は墓前に一枝の桜を、
本日は白菊をお供えいたしました。
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by gendousha | 2015-04-09 14:10 | 日本主義
2014年 05月 12日

日本のいちばん長い日

姿勢を正して「日本のいちばん長い日」を観た。
昭和42年公開のモノクロ作品で、終戦の日の混乱を描いた名作!!

昭和天皇の御聖断がなければ日本は混乱を極め、日本有史初となる敗戦という事態を収拾し得なかったことは言うまでもない。
そして、昭和天皇の大御心を徹底させるため「一死を以て大罪を謝し奉る」と短い遺書を残し、腹を切って陸軍の反乱を抑えた阿南惟幾大将は光輝ある帝国陸軍の最後を見事に締めくくった。
...
阿南大将はもとより日本軍随一の人格者として名が高かったが、今日もなおその名を遺しているのは、ひとり阿南大将の人徳がなせるものではなく、御聖徳を奉じて務めを果たし、その人格者としての生涯を完成させたからであった。
また、戦後の復興が成ったのも(謹んで終戦の詔書の最後の一文を抜粋いたします)
「汝臣民、其れ克く朕が意を体せよ」
の大御心を奉じて復興に励んだ戦後日本人がいたからに他ならない。

連合軍100万の大戦力を前にして混乱を極めた状況下であっても日本の中心は、天皇以外には存しない。言わんや、平時においてをや。

そのような事を考えさせられる映画でした。 もっと見る
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by gendousha | 2014-05-12 19:18 | 日本主義
2013年 06月 17日

田植ゑ

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日本神話によると、初めて稲作が行はれたとされる鹿児島県薩摩川内市にて田植ゑをしてきました。

「原道社」には「日本の原点の道を追求する」といふ意味があります。


私は日本の根本を考えたときに「天皇」「神社」「米作り」「豊かな自然」などが頭に浮かびます。
私は、日本の根本に触れるため、毎年米作りのお手伝ひをさせて頂いてます。

理屈はどうであれ、自分で作つた米は美味いです。
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by gendousha | 2013-06-17 01:45 | 日本主義
2013年 03月 12日

戦陣訓の本当の意味

戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず…」この言葉は、戦後の日本人こそ銘記すべきです。

大義を掲げて戦つた日本人は戦争に負けても堂々とあるべきでした。
しかし、終戦後の日本人は罪を犯した囚人の如く戦勝国に媚び諂い、魂を売りました。
これを、虜囚の辱めと云はずしてなんと云ひませうか!!



日本人よ胸を張れ!堂々とあれ!
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by gendousha | 2013-03-12 20:06 | 日本主義
2013年 03月 04日

沖縄からの帰路にて

琉球に殉ぜし空の神兵と共に還らん肥後の空
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by gendousha | 2013-03-04 18:08 | 日本主義
2013年 02月 12日

紀元節奉祝高千穂峰登拝

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昨日は、毎年恒例となつてゐる紀元節奉祝登拝を友人や仲間と共に実施しました。
今年は二日間の日程で行ひ、一日目は、枯れない火口湖としては日本で最も高い標高にある「大浪池(1411m)」に登山しました。
想像以上に大きな湖と、湖底まで透き通つて見える水の透明度にはとても感動しました。
たゞ、想像以上の山の険しさに皆、疲れ果てゝをりました。
私は水を持つて行かなかつたので、沢にできた氷柱をボリヾヽ食べながら登山したのですが、その氷柱が非常に美味しかつた事が何故かとても印象に残つてをります。苦笑

二日目は、朝から天孫降臨の舞台である高千穂峰(1574m)に登り、日の出を拝した後、霧島神宮の社宝である天の逆鉾の前で祝詞を奉唱し、聖寿万歳を皆で三唱しました。

私は、時局の問題や、政治問題に一喜一憂するよりも、九州に縁の深い神話などを学び、日本の深い部分に目を向けてゆきたいと思つてをります。


お国自慢が好きな私ですが、今回は九州自慢をしたくて写真を四枚載せます!
九州にお越しの際は、霧島の山々に足を運んで絶景を楽しんで帰つて下さい!!
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by gendousha | 2013-02-12 21:22 | 日本主義
2012年 11月 08日

郷土の偉人。尊皇の僧「佐田介石」

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本日は朝一で仕事を終わらせ、急いで小島の正泉寺に向かい熊本県立大学名誉教授の梅林先生による「佐田介石」につひての勉強会に参加。
地元の人をはじめ、80名程の参加者が集まつてゐた。

佐田介石は幕末に熊本県八代の浄立寺の長男として生まれ、18歳で京へ上り西本願寺に学び仏教への信仰深くした。
その頃、西洋から地動説が輸入されたが、仏教の教へを覆す学説だつたため佐田は危機感を覚え、この地動説に対抗するべく仏教天文学を学び、独自の理論を確立し、地動説排撃運動を展開した。この理論に基づいて視実等象儀といふ天文儀を作るなどして、その理論の普及に努めた。

介石は僧といふ立場にとゞまらず、尊皇の士としても活躍し、桂小五郎をはじめ幕末の志士や、幕府の要人ともパイプを持ち、僧といふ立場から国内の安定を目指すなどして、外夷の圧力から日本を守るために尽力した。

介石の歌に
「国のため、法のためとて身のかぎり、尽くして果てん倒れ伏すまで」
といふのがあるが、この歌のとおり、介石は明治維新後も西洋文化を厳しく批判し、日本の伝統文化を守るために全国を遊説をして回つたが、新潟県でついに病に倒れ、64歳で永眠した。


また、介石は僧でありながら神道原理主義ともいふべき神風連の志士達とも交流があつた。
信仰は違へど、肥後もっこすといふ事に関しては非常に相通ずるものがあつたのだらう。
神風連の志士たちは、洋服や、紙幣、電線の下を通ることなどを穢らわしいとして忌み嫌つたが、介石も同じやうに西洋文化を嫌ひ、化石燃料を使わない伝統的経済論である「栽培経済論」や「ランプ亡国論」を著すなどして日本の伝統文化の大切さを訴へ続けた。
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by gendousha | 2012-11-08 21:22 | 日本主義
2012年 10月 23日

ヤンキー奉公に励む!

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ヤンキー奉公に励む!

本日は、田口さんに呼ばれて熊本市花園の神風連(しんぷうれん)五士自刃の地へ来てゐます。

神風連とは映画「ラストサムライ」のモデルにもなつた熊本の武士の集団のことです。
明治以降、日本が急速に西洋化に傾き、大和魂を忘却しつゝある事を憂ひた神風連は日本古来の刀と槍、弓矢のみで新政府軍に戦ひを挑みました。
この変で神風連は物理的に敗れはしたものゝ、大和魂の神髄を後世に繋いだことは言ふまでもありません。


この戦ひで自刃、もしくは戦死した神風連の烈士百二十三名のうちの五人が自刃した地(熊本市花園柿原)に慰霊碑が立つてゐます。「鳴岩の湧水」のある場所です。

こゝの慰霊碑を清掃したり、整備されてをられるのが田口さんです。
田口さんは中卒で、過去には暴走族になつたり、アウトロー格闘技アウトサイダーに参戦するなど、いわゆるヤンキーだつたのですが、三年前に靖國神社に参拝してから日本人としての誇りと、自覚に目覚め、その日本精神を継承せんと地元の神風連慰霊碑を清掃、整備するやうになつたさうです。
慰霊碑の基礎のコンクリ打ちや、修繕などお金のかゝる作業もほとんどが自費で行いました。その姿を見た近所住民からの寄付などもあつたさうです。

田口さん曰く、「これはボランティア、すなわちキリスト教の言ふところの無償の愛とかそんなことではなく、日本人として公に奉仕する「奉公」だ!」と。
さらに、「俺は今までまともに学校に行つてなかつたおかげで、日教組の悪影響を受けることがなくて良かつた」とも言つてをりました。

ちなみに、田口さんはいま行政書士の資格を取るためにガリ勉中で、すでに模擬試験では合格ラインに届いてゐるさうです。
学歴とか肩書きが無くとも、こういふ志のある方と交流できることは非常に嬉しく思ひます。

また、田口さんが神風連慰霊碑の清掃、整備を行つたおかげで地域住民も協力して慰霊碑の周辺を清掃するやうになつたさうです。地味な事ですが、これこそまさに日本を取り戻すための草の根運動であり、こういふ事の積み重ねが草莽屈起につながつてゆくのだらうと感じました。
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by gendousha | 2012-10-23 18:41 | 日本主義
2012年 02月 22日

義憤なのか、愚痴なのか。

近年、インターネットの普及により誰でも自分の考へや思ひを発信する事が容易になつてゐる。
それは悪い事ではないと思ふが、その容易さ故に言葉の重みといふか、言葉に対する責任感が薄れてゐるやうに思へてならない。

そんな小生も有言不実行により人に迷惑を掛けたり、恥をかいた事ばかりなので偉さうな事は言へないが、

「男子の一言金鉄の如し」
「武士に二言は無い」

といふ諺があるやうに日本人は言葉を大切にしてきたし、それが美徳であつた。

ネットの普及で日本の将来を憂ふる有志達が「国賊○○を絶対に許すな!」「○○を打倒せよ!」などと、365日24時間絶える事なくTwitter等を通じて発言されてゐるが、その事によつて却つて言葉を重んじる美徳が失われてゆくやうに思へてならない。
これは、決して発言するなといふ事ではなく、発言したならばその言葉を何年でも何十年でも忘れる事なく、結果につなげてゆく努力をすべきではないかと言ふことだ。
義憤から発された言葉であるなら、憤りの対象を潰すために何らかの行動を起こさなくてはならないだらう。

武士は寡黙が貴ばれた。不用意に発言することで、知らぬ間に約束を破り、言葉が軽くなつてしまふ事を知つてゐたからかも知れない。


小生はパソコンのやうに同時にたくさんの事は出来ないし、一人一日二十四時間といふ事も決まつてゐる。
だから、私は社会や政府に対して一喜一憂したり、不満をダラヾヽ垂れるのは辞めようと思ふ。
その発言に対する行動が伴はなければ単なる愚痴になるのだから…。


その代はり、楽しいこと、日本の素晴らしいところ、熊本自慢はどんゞゝ書いてゆくよ。
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by gendousha | 2012-02-22 22:05 | 日本主義
2012年 02月 16日

第二回紀元節奉祝高千穂峰登拝

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昨年は新燃岳噴火で中止になつてゐた紀元節奉祝高千穂峰登拝を十一日に実施しました。

今回は七名が参加し、山頂にて参拝、君が代、聖寿万歳を斉唱し
、紀元節をお祝ひいたしました。

一昨年の登拝は極寒の中雨に打たれ、濃霧で数米先も見えない程の悪条件でしたが、今年は天候に恵まれました。月夜に照らされた雪山は言葉に出来ぬほど美しく、まさに霊峰を登つている事に言われぬ喜びを感じました。

紀元節の日、関東では講演会や勉強会で学び日本人としての自覚を固くし、関西では橿原神宮の御前で肇國のお祝ひをするのが民族派の一般的な過ごし方の一つだと思ひますが、九州では天孫降臨の地、高千穂峰に登拝するのが紀元節の過ごし方の定番になつていけたら良いなと思つてをります。

(写真2の後ろの山は鹿児島の桜島です)
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by gendousha | 2012-02-16 20:15 | 日本主義