カテゴリ:自衛隊 国防( 11 )


2014年 11月 24日

中川州男大佐慰霊祭

昨年、11月24日
中川州男大佐没後70年の慰霊祭を
謹んで執り行いました。
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本年も、
御命日には墓前にて慰霊祭を行い、
中川州男大佐の鬼のような武勇と、
仏のような慈愛の精神を後世に伝えていきたいと思います。
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by gendousha | 2014-11-24 14:14 | 自衛隊 国防
2013年 03月 07日

戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず」について

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「生きて虜囚の辱めを受けず…」



陸軍大臣、東條英機が書いた「戦陣訓」の中の一文です。

沖縄戦で一般市民の集団自決が起きたのは日本軍の命令があつたからだ!!と主張する左翼側の証拠としてマスコミなどでもよく取り上げられたので、聞いたことがある方もゐると思ひます。

マスコミは、この「戦陣訓」によつて、日本軍兵士は捕虜になることが禁止され、自決しまくつて、さらに市民にまで自決を命令したかのやうに報道しますが、そんなことはあり得ません。

陸軍大臣の書いた戦陣訓といへども、たつた18頁しかない小さな「しおり」が軍の方針になり得る訳がないからです。
その証拠に、1頁目には「本書を戦陣道徳昂揚の資に供すべし」と書かれてゐます。

文中には、
「敵及び、住民を軽侮するを止めよ」
怒を抑へ、不満を制すべし。「怒は敵と思へ」と古人も教へたり。
国際の儀礼亦軽んずべからず。

などの道徳的なことが主に書いてあります。





戦陣訓
本訓
第八 「名を惜しむ」

恥を知るものは強し、常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励してその期待に答ふべし。生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ。



これが「生きて虜囚の辱めを受けず」が書かれてゐる章の全文です。「生きて虜囚の辱めを受けず」の後に、「死して罪過の汚名を残すことなかれ。」と続きます。

この文は、こういふ解釈をすることができます。
「生き残つて捕虜になつたとしても、囚人のやうな恥づかしい振る舞ひをしてはいけない。死んだときにも、汚名が残る事がないやうに日頃から道徳に背く行ひをしてはいけない。」


「生きて虜囚の辱めを受けず」
たつたこれだけの文章ですが、読み方によつては全く違ふ受け止め方もできるといふ事を知つて欲しいと思ひます。


本当の日本を歴史を知る為には戦前、戦中の本も読むべきです。
戦勝国に占領された後に書かれた歴史書、教科書を読んで戦前、戦中の日本が分かるわけがないのですから…。
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by gendousha | 2013-03-07 16:41 | 自衛隊 国防
2013年 03月 02日

沖縄旅行三日目

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昨日は沖縄の聖地である斎場御嶽や久高島、残波岬(米軍資料によると義烈空挺隊の最後の隊員が戦死した地)、義烈空挺隊玉砕の地(読谷飛行場跡)などを巡りました。



そして、今日は朝から首里城、一中健児の塔(鉄血勤皇隊)、一中学徒隊資料展示室、沖縄県護国神社、海軍司令部壕を巡りました。

温暖で、美しい自然に囲まれ、人ものんびりしたこの平和な沖縄に来て、島のすべてが戦場になつた跡を目の当たりにして、沖縄人が平和を叫ぶ理由が分かる気がしました。
しかし、だからこそ戦ひの最前線で戦ひ散つた方々を顕彰しなくてはならないと思ふのです。戦つたのは、軍人に止まらず、中学生や、ひめゆり部隊に代表される女子学徒隊などに至るまで、島民が一丸となつて戦つたのです。


よどみなく ふるいはげみし 健児らの 若き血潮ぞ 空を染めける

と、一中健児の塔に刻まれてゐました。

この沖縄県立第一中学の生徒、山内昌栄は出陣前、両親に最後の別れを告げるために一時帰宅しました。しかし、家族は米軍の攻撃を避けて疎開してをり、会ふことができませんでした。
そこで彼は、庭の桜の木に

「君が為何か惜しまん若桜散って甲斐ある命なりせば」

の辞世の句を刻んで戦場に戻りました(写真)。そして、そのまゝ家に帰ることはありませんでした。

この他にも遺書には「若桜散るべきときは今なるぞ」などの勇ましい言葉も多くある一方、「両親に会ひたい」といつたものも同じく多いさうです。

どちらも本音だと思ひます。
もしかすると、勇ましい言葉で、恐怖に怯へる自分の心を奮ひ立たせた事もあつたかも知れません。
どちらにせよ、少年達の生と死の葛藤には、現代を生きる我々には想像も出来ない苦悩があつたはずです。


鉄血勤皇隊は若い生徒は13歳から戦つてゐます。
写真を見ると、とても幼い顔をしてゐます。桜で言ふなら、まだゝゞ若桜にも早すぎる、まだ春の温かさも知らない蕾です。

そんな彼らの事を思へば思ふほど、うまく言葉になりません。
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by gendousha | 2013-03-02 22:02 | 自衛隊 国防
2013年 02月 28日

鉄血勤皇隊

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今日は、沖縄師範学校の生徒を以て編成された鉄血勤皇隊の慰霊碑「健児の塔」や、「義烈空挺隊慰霊碑」、「第32軍司令部終焉の地」などを巡つて、手を合わせてきました。

義烈空挺隊のことはまた後日書きたいと思ひます。

鉄血勤皇隊は13歳~19歳の兵役の義務のない中学校の生徒達が日本軍と共に戦つた部隊のことです。
鉄血勤皇隊の慰霊碑は沖縄本島の南の端、平和祈念公園の一番奥にあります。米軍に追いつめられた日本軍や、民間人が徹底抗戦し、数多く自決をした場所です。
岸壁に波がぶつかり恐ろしさを感じるほど大きな音を立てゝゐました。周りを深い草木に囲まれて、その隙間からは海が見えるのですが、戦争中には多くの米軍艦がこの海から大砲の雨を降らせました。
そんな場所で、まだ十代の少年達が日本を守るため、覚悟を決めて戦つたのです。その純忠を思つたとき、私は心から手を合わせずにはゐられませんでした。
どんなに覚悟を決めても、少年にとつて初めての戦場は恐ろしかつたに違ひありません。それでも戦つた鉄血勤皇隊の勇気を称へたいと思ひます。

戦争の犠牲者を追悼するだけでなく、私はこの勇気を顕彰しなければならないと思ふのです。
ただ、一方的に敵の犠牲になつたのではありません。
心を奮はせ、小さな身体で大きな敵と戦つて倒れたのです。


戦後日本は、この勇気を「悪」として教育を続けてきましたが、私はこの勇気の百分の一でも持ちたいと思ひます。
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by gendousha | 2013-02-28 21:07 | 自衛隊 国防
2013年 02月 27日

義烈空挺隊

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今日は、仕事の昼休みを利用して健軍駐屯地に行き、義烈空挺隊慰霊碑に参拝し、広報館にて関連資料を見せて頂きました。

「義烈空挺隊」とは昭和20年5月24日、熊本健軍飛行場(現在の日赤病院)から出撃した奥山隊長(26歳)以下、総員120名の斬り込み部隊。
この部隊は、12機の97式爆撃機に分乗し、米軍に占領されてゐた沖縄の北飛行場(読谷)、中飛行場(嘉手納)に強行着陸し、敵航空機の破壊を任務としてゐました。
敵陣の真つ只中に少数精鋭で斬り込むといふ任務の特性上、生還の見込みのない、言はば空挺特攻でした。

米軍の記録によると着陸に成功したのは1機のみとされ、 そのわずかな兵力で奮戦し、手榴弾、焼夷弾により飛行機7機破壊炎上、26機に損害を与へ、さらに7万ガロンのガソリンを炎上させ、米軍を混乱に陥れました。


この義烈空挺隊の隊員のほとんどは家庭に帰れば妻子のある父でした。
その家族にも話すことの許されない極秘の訓練を続けていた隊員達の苦悩は想像を絶するものだつたでせう。それも、戦死することが前提の任務を果たすための訓練だつたのですから…。

それでも、家族を守るため、日本を守るため、敵の飛行機を一機でも多く破壊するために艱難辛苦にうち耐へて厳しい訓練に励んだのです。

このやうに若き命を日本のために散らした方々に対して、「無駄死に」とか、「戦争の犠牲者」といふ言葉で済まそうとする人が許せません。
私は、その武勇を、その忠烈を、顕彰してゆきたいと思ひます。

戦争の善悪、是非はそれはそれで語ればいい。

私は、誰からなんと言はれようと、いつまでも英霊に感謝し、手を合はせてゆきます。



義烈空挺隊員の辞世の句

第三独立飛行隊

吾か頭 南海の島に 瞭さるも 我は微笑む 國に貢(つく)せば

— 奥山 道郎大尉


奥山に 名もなき花と 咲きたれど 散りてこの世に 香りとどめん

— 今村 美好曹長


武士の 行くべき途は ただひとつ 散って甲斐ある 命なりせば

五月雨の 落つる雫も 今日はなく 我の征途を 守るらん

— 久野 正信中尉


待つありて 眺むる月の 涼しさよ また咲きいでん 靖国のみや

— 新妻 幸雄少尉


よしや身は 千々に散るとも 来る春に また咲きいでん 靖国のみや

— 関 三郎軍曹
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by gendousha | 2013-02-27 06:35 | 自衛隊 国防
2013年 02月 09日

消防団意見発表会

熊本市消防団第三十一分団(春竹校区)団員 鈴木田舜護

消防団の母と呼ばれている松井茂曰く「義勇消防は、その志願の動機が、任意的、義侠心の発露に出たのであるからして、火災時における、出場手当等は之を眼中におかないのが当然である」と。その著書「国民消防」の中で記しております。

この本は大正15年に刊行されたものですので、今日における消防団運用の現実から照らし合わせれば多少の温度差はあるかも知れませんが、一旦緩急あれば義と勇を以て地域に奉仕するという義勇奉公の精神は古今東西に通じるものであり、これからも発展的に守っていかねばならない精神であります。

このことを私が強く感じたのは消防団に入ってしばらく経ってからでした。
昨年の小型ポンプ操法大会でのことです。私の所属する分団から一番員の選手として出場した二十歳の団員は、大会当日あるものを胸ポケットに忍ばせて出場しました。そのあるものとは、彼の父が彼と同じ二十歳だった三十年前にポンプ操法大会に出場して優勝したときのリボンでした。
彼は二年前にその父を亡くし、父の跡を継いで消防団に入りました。そして大会当日、父の名前が書かれたリボンを分団旗から外し、自分の胸ポケットに入れて競技に臨んだのです。
父と同じ気持ちで、父と同じ一番員として毎日のように訓練に励んだ努力が実を結び、大会では我が分団は熊本市消防団の中で最も早いタイムをたたき出しました。

残念ながら優勝こそ逃しましたが、父の遺志を見事に継いで地域の一員として活躍する彼の姿を見て私は心から感動いたしました。

そのように、義勇奉公の精神が親から子へ受け継がれていく消防団の姿をみて、消防団にしかできないとても崇高な使命があることを知りました。

それは、『「国民の生命財産を守る」という精神を守る』という事であります。
私は五年前自衛隊に勤めていました。そのときから「国民の生命財産を守る」という言葉は何度も聞いていました。消防団に入ってからも同じ言葉を何度も耳にしましたが、自分さえ良ければそれでいいという「個人主義」が蔓延している現代に於いては、その言葉さえ何か現実味のない、遠い過去のものと感じてしまう若い人が多くいることも現実です。
この現状を踏まえて、忘れてならないのは、国民の生命財産を守ってゆくための大前提として、『「国民の生命財産を守る」という精神』が守られていなければ地域防災、義勇消防は成立しないということです。
そして、消防団こそが『「国民の生命財産を守る」という尊い精神』を親から子へ、子から孫へと継承し、さらに発展させていくことのできる最大にして最良の組織であると思います。

現在、私が所属している分団は勤続54年を迎える副分団長をはじめ、勤続30年を超える経験豊富なベテランばかりです。しかし残念なことに、分団員の減少には歯止めがかからず、このままの状態でいくと分団が本来持っている能力を発揮できない事態になりかねません。
これからは、輝かしい伝統と、先輩方の精神を継承していくための後継者の育成が我が分団の急務と考えております。私は、分団の若手として友人や、近所の後輩たちに声をかけて一刻も早く消防団の若返りと、団員の充実を図り、さらに次世代へと義勇消防の精神を継承していける盤石な分団にするために一所懸命努力していく所存であります。
事あらば、火にも水にも飛び込む心意気と、魂で地域から信頼されてきた消防団を必ずや子々孫々まで受け継いでいくという強い決意を新たにし、私の意見発表を終わります。
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by gendousha | 2013-02-09 07:05 | 自衛隊 国防
2011年 10月 06日

消防団に入りました

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一昨日、消防団に入つた。
愛郷精神を発揮して地元の防災に励む所存である。

消防団入団にあたり最も影響を受けたのは大阪に本部を置く實践奉仕團の志賀先輩だ。

消防団にも所属する志賀先輩曰わく「東日本大震災では県外から来た土地勘のない自衛隊や警察を誘導したのは地の利がある地元消防団であつた」と。
「消防団は地域の神社のお祭り等に協力し地域の文化保存の一翼を担つてゐる」とも。

小生の愛郷精神をくすぐるには十分だつた。


都会では、隣の住人の顔も名前も知らないといふ話をよく聞く。それ程までに地域や他人との繋がりが薄れてゐるのだ。
しかし、いざといふ時、例へば大震災や戦時下に於いては隣近所との結束が大切だ。
余計なことかも知れないが、消防団では何かと酒を飲む機会が多いといふ。しかし、こういふ飲み会で世代の違ふ人達との繋がりを作ることはいざという時に役に立つと思ふので、なるべく参加して行かうと思つてゐる。



さういへば、消防団に入団した翌日(昨日)に熊本で震度5強の地震が起きた。
天災は何時来るかわからない。明日は我が身かも知れないのだ。
今回は被害は出なかつたが、もし地震がもう少し大きければ消防団が出動する場面もあつたかもしれない。


心身共に天災に備え、気を引き締めて頑張るばい!!
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by gendousha | 2011-10-06 23:50 | 自衛隊 国防
2011年 05月 26日

隊服の身だしなみ(裾周り)

ご無沙汰してをります。
せつかくのブログ更新ですが、後輩から半長靴の靴紐の端末処理につひて教えて欲しいと要望があつたので
靴紐のことと、裾周りのお洒落につひて書きます。

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半長靴と通称「足の輪」と呼ばれてゐる裾の形を整える小道具です。ズボンの中に入れて使用します。
自衛隊の売店で購入できますが、段ボールを丸めて上からビニールテープを巻いて重さをつければ代用できます。


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足ゴムといふ小道具を使へばズボンの裾を半長靴に入れなくても大丈夫ですが、ズボンを半長靴の中に入れるのが基本です。
写真のやうに正面から見たときにしわにならないやう裾の両端を引つ張つて後ろにもつていきます。


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紐の長さによりますが、私は足を一周させた後「真結び」に結び端末を紐に差し込んで端末処理します。
自衛隊でも結び方は人それゞゝですが、決して紐がダラヾヽとならないやうにして下さい。


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「足の輪」&「靴紐の端末処理」を実施して裾周りを整へれば同じ隊服を着てゐても少しお洒落に見えると思ひませんか?
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by gendousha | 2011-05-26 23:10 | 自衛隊 国防
2011年 04月 21日

歌をつくりました

みちのくの災ひに征きし防人は
国の誇りぞ民の希望ぞ


大平の世にも残りし兵の
心は清し思ひは固し


過酷なる瓦礫の山の戦場に
平和を築く今日の防人
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by gendousha | 2011-04-21 13:31 | 自衛隊 国防
2011年 04月 09日

わかりやすい「自衛隊」講座♪<1>

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いま10万人を超える自衛官が被災地で活躍しています。過酷な状況で任務に励む皆様に感謝感激です。


ところで皆さん。
「自衛隊と警察の違いは?」と聞かれて答えれる方はいますか?

意外と知らない方が多いですよね?もしかすると、現役自衛官でも答えられない方も居るかも知れません。

ということで、鈴木田舜護が池上彰より分かりにくい解説で自衛隊と警察の違いを説明していきましょう♪笑

自衛隊と警察で最も大きく異なるのは守るものが違うということです。

専門的な言葉を使うと、自衛隊は「国体」を守り、警察は「政体」を守る事が任務です。

では、「国体(こくたい)」とは何かというと、簡単に言えば国柄のことです。

中国の国柄を例に挙げると、「共産党一党独裁の国」であるといえます。中国から共産党一党独裁を取ってしまえば、中国建国の理想に反しますし、中国でなくなってしまうはずです。
鈴木田舜護という人柄から愛国心を取ったら、何の役にも立たない社会のゴミになってしまうのと同じです…笑


では、日本の国柄はというと、125代2671年も続く万世一系の天皇を中心に世界で最も長い歴史と伝統を持っていることです。
もし、これが無くなれば日本は日本ではありません。


ですから、国にとって最も大切な、背骨のようなものが「国体」ということになります。
自衛隊(軍隊)とはその「国体」を守る事が任務なのです。



…続く


※一般人向けに書いた文章ですので、占領仮名遣いになつてゐます。ご理解ください。
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by gendousha | 2011-04-09 13:10 | 自衛隊 国防