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もっこすのための熊本愛郷新聞

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2011年 10月 25日

神風連の義挙

先ほど、新開大神宮へ参拝申し上げてまいりました。

「神風連の変」から今夜で百三十五年になります。
映画ラストサムライのモデルにもなつたこの義挙は、西洋文化の急速な流入から日本精神を死守するための戦ひであり、大砲や小銃といつた近代兵器を装備する熊本鎮台(新政府軍)に対して約百七十名の神風連が日本刀、槍、弓といつた日本古来の武器のみで戦ひを挑んだ歴史上他に類をみないものでした。

この神風連は「敬神党」と自称してゐましたが、なぜ「神風連」と呼ばれるやうになつたかといふと、明治新政府は日本精神を重んじる敬神党の存在を脅威と感じてをり、彼らを懐柔するために神官(神社の神主)に採用することにしました。その際、神官採用試験の回答に敬神党のメンバー全員が 「皇威国権の振張」を述べ、 「人心反正、皇道興隆せば、文永弘安の役の時のごとく、神風吹きおこり、敵を掃攘することはまちがいない」 と記してゐたため試験官が驚ひて「彼らは神風連だ」と言つたことが神風連の由来だと伝へられてゐます。
先日、神風によつて沈んだ元寇の船が奇跡的に海底から発見され、奇しくも神風連の決起から百三十五年目の今日、元寇の船がテレビで初公開されました。
この元寇を破つた歴史は脈々と続き、幕末明治には神風連の思想となり、明治時代に津波の如く押し寄せる西洋文化の流入から日本精神を守る防波堤の如く戦はれた神風連の決起へと繋がりました。また、昭和に入ると神風特別攻撃隊が奮戦しその名を深く歴史に刻み、戦後では日本精神の荒廃を憂いた三島由紀夫先生が決起し割腹自決されましたが、三島先生の決起に最も影響を与へたのも神風連だつたといはれてゐます。

神風連の死を無駄死と感じる人には何も言ふ事はありませんが、私は敬神尊皇にのみ捧げられた敬神党の生き様、死に様こそ日本精神の粋だと信じてゐます。
もし叶ふならば、敬神党の精神に少しでも近づきたいと願つてやみません。

近年、保守の評論家から「民主党政権を倒さなければ日本が滅びる」といつた類の話をよく耳にしますが、神風連の方達は勝ち目がない戦と分かつてゐても何度も何度も立ち上がつてゐればいつか必ず至誠が天に通じ神風が吹くことを信じ戦ひ抜いて散つていかれたのです。
日本の保守派であるならばこのやうに皇国の不滅を信じなければならないと強く感じてゐます。



写真は、神風連首領太田黒伴雄先生が宮司として奉職されていた新開大神宮です。先週末、新開大神宮大祭に國の子評論社の横山社主をはじめ、國の子評論社の方達と参列した際に撮影しました。

by gendousha | 2011-10-25 01:29 | 日本主義


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